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2012/03/21

ネズミの相談 2



→ (前回 「 ネズミの相談 1 」 )


「誰も猫の首に鈴を付けたがらない」状況で、何の解決にもならない愚痴を聞き続けるよりはマシかな、と思い、
「ならば、私が鈴を付けましょう」 ということになった。
 
だいたいにおいて、私の思考は結構「単純」かつ「合理的」である。

・猫の存在を「嫌だなぁ」と愚痴っているだけでは解決に結びつかない。
・猫の首に鈴を付ける(話し合う)ことに成功すれば、解決の道がある。
・ならばそうしましませんか?と提案する。
・誰も自分の身が可愛いので鈴を付けに行きたがらない。
・私は別に猫を嫌いでないので「付けに行かない」理由がない。
・しかも「首に鈴を付ける行為」が猫に察知され反撃を食らうと決まっているわけではない。
それは話の持って行きようでどのようにもできると思える。
・ならば、私が行きましょう。

とても合理的、かつ論理的で、すっきりしていると思う。
しかも楽観的だ。

「合理主義」とはちょっと違う気がする。
「主義」などというような大それた「意思」があってそう考えたわけではなく、気づいたら自然とそのように思えるのだ。
あたかもそのようにプログラムされているかのように、自然とそう思った、という感じだった。

それと、ここが重要な点だが、私は何が何でも「自分がそれをしたい」というつもりはなかった。
あくまでもその状況の結果が「合理的」に良い方向で収まればそれで良いのだ。
だから、実行するのは誰でも構わないのだが、たまたま誰もしようとしないので、大抵、私が貧乏くじを引くはめになっていた。 (小学生の頃から)


そんなわけで、とりあえず私は折り入って話があるとTさんに持ちかけた。

チームの大半がTさんのゆっくりな動作に「わざとではないか?」と不満を持っていることを切り出し、私はなんとかしてこれを解決したい旨を告げた。
私にはそうは思えないが、何か理由があってのことか?
などを丁寧に話し返事を聞き出した。

よく話を聞いてみると、なんということもない。
Tさんはただ、作業の進め方に変更があった場合に、自分がどのように動くのが適切なのか、全体の流れから自分に求められている動作がどんなものなのか、それが良くわかっていないのだった。
だから自然と回りの様子を見ながらになり、まったりとした動作になっていたのだった。
職歴だけは長いので変なプライドもあり、また本人は口下手でもあり、皆と打ち解けて話すことも聞くこともしづらかったという。
なんとも可哀そうでもあり、拍子抜けもした。

この話をチームに持ち帰り、めでたく?誤解と疑惑は解けた。
今後は、作業についてわからない点、不明な点があればその都度確認し、解決していきましょうねということで皆の同意が得られた。
(仕事なのだから当然と言えば当然なのだが)


しかし、私には疑問が残った。

愚痴を言っていた人達はTさんを疑い「サボろうとしている」と決めつけ「無視しよう」という結論にまで達した。
根拠もなしに、Tさんに対して「サボり」の嫌疑をかけたのだ。
これは事実であるのに、愚痴っていた数名の中で、誰一人、この件に関してTさんに謝罪する人が居なかったのだった。
彼らはこのことに対し、罪悪感はないのだろうか。

私は釈然としなかった。

ここにも、定型社会によくありがちな、「ものごとを うやむやなままで済ます」が適用されていた。

もしも私なら「疑ってごめんね」と言わずにいられないところだ。
しかし、どうやら
「何も問題なかったじゃない? だから何も言う必要ないじゃない?」 とされてしまっているようだった。
確かに誰一人、面と向かって本人に言わなかった。
だから、「何も問題なかった」というのだろうか。
疑惑の真相を突き止めようとせず「シカト作戦」にまで発展していたのだから、私に言わせれば、問題だらけだ。

定型社会にはこういった「釈然としない」ことがとても多い。


今考えると、このTさんも回りの状況を「よく読めない」タイプで、もしかすると発達障害の要素を持ち「困っていた」人であった可能性もある。
私とて、作業の流れを「よく読めていない」部分はあったはずだ。
しかし年齢が若いこともあり、先輩がこまめに指示を出してくれ、そのおかげでうまく動けていたのではないかと思う。


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2012/02/25

ネズミの相談 1



26歳頃の出来事。



地元の病院で職員を募集している、という情報を入手し、面接を受け、臨時職員として採用された。

選んだ理由は:
・真面目に勤務していれば将来正職員へ途用のチャンスあり。
・バツイチ女が一人で子育てするには、安定した収入が第一。

仕事内容は、入院患者用食器を洗浄機を使用して洗浄・消毒する、という単純作業の繰り返しで、体力勝負な仕事だった。

しかし、チーム内で一番年齢が若く、元々体格が良く、腕力にも自信ある自分にとっては、作業はそれほど苦痛ではなかった。
汗だくになりながら精一杯働き、お腹も減るのでモリモリご飯を食べ、疲れて、夜はぐっすり良く眠った。


少し職場に慣れてくると「女の職場」の現実が見えてきた。
その場に居ない「特定の人」への文句・愚痴・陰口が日常的に行われていることに気づいた。
私は当惑し、違和感を覚えた。




私には、昔から持論があった。


誰かに文句がある、あるいは改善して欲しい点があるのなら、本人に直に言うべき。
陰で愚痴っても何の解決にもならない。
本人に言わないのであれば、それはその人が「言わないこと」を選択したわけで、選択した以上、いっそ誰にも言うべきでない

というものだ。

小学生の頃から私にはこのような思考が漠然と定着していた。
(もちろん小学生の思考だから、「改善」だの「選択」だのという小難しい言葉は用いない)
だから私は愚痴る人々を見ながら不思議でならなかったし、愚痴が飛び交う中に身を置くことが不本意であり、苦痛であった。


私は、しばらく噂の当人(Tさん)を注意深く観察した。


観察して気づいたが、確かに40代女性のTさんは少しばかり動作がゆっくりだった。

それは、見ようによっては
・わざとゆっくりやっている?
・態度が真剣さに欠ける?
そのようにも見えないこともない、と思えた。

そこがチームの皆に愚痴らせている原因のようだった。
しかし、本当にしんどそうにも見えた。


だいたいにおいて、人がすることに関して、何か腑に落ちないことがある時は、それには何か事情があるのだろうと考える。
その事情はこちらが推測することはできても、本当のところは相手に聞いてみないとわからない。
私はずっとこのような考えだったが、これは「普通」であろうと私は思っていた。

ところが周りには違う人が多すぎる。
確かめもせず「決めつける」人があまりに多い。



ある日、Tさん不在の日、チームで話し合いの結果、信じられない作戦が出来上がった。

「皆の不満を思い知らせるために、Tさんと一切口を聞かない。徹底的に無視しよう。」
というものだった。


これには驚いた。

何故そこで「無視しよう」というような発想になるのか? 
なんだか小学生のイジメ?


私は疑問が沸き、困惑した。


年齢的・体力的な限界は人それぞれであろうし、皆が皆に平等な作業量を課すほうが無謀、とするのが妥当ではないか。
だからこそ、誰かが無理な作業は、皆でカバーしあうのがチームというものではないか。

そのような意識を持って実践してきた私は、なんというか、自分のそれまでの仕事に対する姿勢を根底からひっくり返されたような、奇妙な感覚を覚えた。


皆が言うには、この「Tさん無視」作戦は、「平等の権利」というものからすると「当然の報い」らしかった。

しかし、そもそもTさんに
「一人だけ楽をしよう」という意図があり、そうしているのかどうか、誰も事実を確認したわけではないし、確認しようともしない。
なのに、なぜかそういうことに「決めつけられている」

うまく説明できないが、何か違う、と私には思えた。
釈然としなかった。


私は憤っているチームの皆に、持論を展開しつつ、説得を試みた。

「改善して欲しい点があるのなら、本人にきちんと伝えるべき。
無視などしても意味がない。
それどころか、こういうのは最も良くないやり方だ」

(もちろん、私は最年少であったので、丁寧な口調で話した)

そうすると、チームの大半から

「私たちはあの人と話をしたくない。
本人に言うべきと言うなら、あなたが言えば?」

という声が上がった。


なぜ話がこのような展開になるのか、私には良くわからなかったが、これがいわゆる、イソップの、
誰が猫の首に鈴を付けに行くか? という、あの「ネズミの相談」なのだな、ということだけはわかった。

私個人としては、Tさんに特に不満も要求もないのだが、「言いだしっぺが実行しろ」という理屈、それももっともだなと思えた。


「誰も猫の首に鈴を付けたがらない」状況で、何の解決にもならない愚痴を聞き続けるよりはマシかな、と思い

「ならば、私が鈴を付けましょう」ということになった。



→ 次 「ネズミの相談 2

2007/02/20

ついに言ってしまった「恥を知りなさい」

(日記2007年02月20日03:54)


24chグリーンの倉庫前で一息ついていると
同じカペラの集団数人がやってきて
そこらへんに居た無抵抗な中立を手当たり次第に殺し始めました。
例え、殺された中に身内が(居ても)いなくとも、あたしの反応は同じでありますが、とっさに、言ってしまいましたわ。
「明らかに弱いとわかる中立を殺すのはおやめなさい。
恥を知りなさい」

いや、昔見た映画のベトナム大量虐殺のシーンが思い出されたのも事実です。
それで
「実際の戦争でも女子供を殺すのは卑劣な行為ですよ」とも。


まぁ、幸いにもその後、
そのリーダーと思しきお人とじっくり話すことができ、
結果オーライではありますが、和解できました。

あたしも自分の言葉のキツさを侘び、
先方からも
「俺TUEEEEEが確かに度を越していた。反省している。今後は気をつける」という
言葉をもらうことができました。

ともあれ、あたしのとっさの発言は
充分晒しの材料となり得るもので、しかも
「恥を知れ」など今どき死語?(笑)

しかし、リーダーと思しきお人が、
話せばわかる人で良かった ホッ