→ (前回 「 ネズミの相談 1 」 )
「誰も猫の首に鈴を付けたがらない」状況で、何の解決にもならない愚痴を聞き続けるよりはマシかな、と思い、
「ならば、私が鈴を付けましょう」 ということになった。
だいたいにおいて、私の思考は結構「単純」かつ「合理的」である。
・猫の存在を「嫌だなぁ」と愚痴っているだけでは解決に結びつかない。
・猫の首に鈴を付ける(話し合う)ことに成功すれば、解決の道がある。
・ならばそうしましませんか?と提案する。
・誰も自分の身が可愛いので鈴を付けに行きたがらない。
・私は別に猫を嫌いでないので「付けに行かない」理由がない。
・しかも「首に鈴を付ける行為」が猫に察知され反撃を食らうと決まっているわけではない。
それは話の持って行きようでどのようにもできると思える。
・ならば、私が行きましょう。
とても合理的、かつ論理的で、すっきりしていると思う。
しかも楽観的だ。
「合理主義」とはちょっと違う気がする。
「主義」などというような大それた「意思」があってそう考えたわけではなく、気づいたら自然とそのように思えるのだ。
あたかもそのようにプログラムされているかのように、自然とそう思った、という感じだった。
それと、ここが重要な点だが、私は何が何でも「自分がそれをしたい」というつもりはなかった。
あくまでもその状況の結果が「合理的」に良い方向で収まればそれで良いのだ。
だから、実行するのは誰でも構わないのだが、たまたま誰もしようとしないので、大抵、私が貧乏くじを引くはめになっていた。 (小学生の頃から)
そんなわけで、とりあえず私は折り入って話があるとTさんに持ちかけた。
チームの大半がTさんのゆっくりな動作に「わざとではないか?」と不満を持っていることを切り出し、私はなんとかしてこれを解決したい旨を告げた。
私にはそうは思えないが、何か理由があってのことか?
などを丁寧に話し返事を聞き出した。
よく話を聞いてみると、なんということもない。
Tさんはただ、作業の進め方に変更があった場合に、自分がどのように動くのが適切なのか、全体の流れから自分に求められている動作がどんなものなのか、それが良くわかっていないのだった。
だから自然と回りの様子を見ながらになり、まったりとした動作になっていたのだった。
職歴だけは長いので変なプライドもあり、また本人は口下手でもあり、皆と打ち解けて話すことも聞くこともしづらかったという。
なんとも可哀そうでもあり、拍子抜けもした。
この話をチームに持ち帰り、めでたく?誤解と疑惑は解けた。
今後は、作業についてわからない点、不明な点があればその都度確認し、解決していきましょうねということで皆の同意が得られた。
(仕事なのだから当然と言えば当然なのだが)
しかし、私には疑問が残った。
愚痴を言っていた人達はTさんを疑い「サボろうとしている」と決めつけ「無視しよう」という結論にまで達した。
根拠もなしに、Tさんに対して「サボり」の嫌疑をかけたのだ。
根拠もなしに、Tさんに対して「サボり」の嫌疑をかけたのだ。
これは事実であるのに、愚痴っていた数名の中で、誰一人、この件に関してTさんに謝罪する人が居なかったのだった。
彼らはこのことに対し、罪悪感はないのだろうか。
私は釈然としなかった。
ここにも、定型社会によくありがちな、「ものごとを うやむやなままで済ます」が適用されていた。
彼らはこのことに対し、罪悪感はないのだろうか。
私は釈然としなかった。
ここにも、定型社会によくありがちな、「ものごとを うやむやなままで済ます」が適用されていた。
もしも私なら「疑ってごめんね」と言わずにいられないところだ。
しかし、どうやら
「何も問題なかったじゃない? だから何も言う必要ないじゃない?」 とされてしまっているようだった。
確かに誰一人、面と向かって本人に言わなかった。
だから、「何も問題なかった」というのだろうか。
疑惑の真相を突き止めようとせず「シカト作戦」にまで発展していたのだから、私に言わせれば、問題だらけだ。
定型社会にはこういった「釈然としない」ことがとても多い。
しかし、どうやら
「何も問題なかったじゃない? だから何も言う必要ないじゃない?」 とされてしまっているようだった。
確かに誰一人、面と向かって本人に言わなかった。
だから、「何も問題なかった」というのだろうか。
疑惑の真相を突き止めようとせず「シカト作戦」にまで発展していたのだから、私に言わせれば、問題だらけだ。
定型社会にはこういった「釈然としない」ことがとても多い。
今考えると、このTさんも回りの状況を「よく読めない」タイプで、もしかすると発達障害の要素を持ち「困っていた」人であった可能性もある。
私とて、作業の流れを「よく読めていない」部分はあったはずだ。しかし年齢が若いこともあり、先輩がこまめに指示を出してくれ、そのおかげでうまく動けていたのではないかと思う。
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