2012/03/20

アスペルガーと診断されるまで 3






とりあえず大きな病院で、という、まるでゆとり世代の就活のような情けない動機で行った大学病院での診察は、残念ながら不発(?)に終わった。

なんだかなぁ。 という感じだった。

まぁ、発達障害というものに関して、私自身「初心者」だったのだから仕方あるまい。
次はちゃんと専門医師が居る病院を調べてから受診すれば良い。


今ならこのリンクを難なくたどることができるが、当時は考えなければならない問題が山積みで、結構気持ちがいっぱいいっぱいだったのだろう。
地元で「発達障害の専門医」が居る病院または医院を調べたいが、どこにどうやって問い合わせればいいものやら、 途方に暮れたのを覚えている。

県の機関からたどり、我が地元にも発達障害者支援の施設があることをを知り、そこへ問い合わせることを思いついたのは、しばらく経過した後だと思う。

しかし、「アスペルガー」の文字で検索し、手当たり次第に様々な サイトやブログで情報を得ることを日課としてしまっていた私は、アスペルガー症候群にほぼ間違いないだろう、と既に「自己診断」を下していた。

当時、職場の同僚にこの「自己診断」の話を打ち明けた。
その時も、(予想通りであるが)同僚から返ってきた言葉は、
「考えすぎじゃない?」
「言い訳にしたいだけじゃない?」であった。

決して、何か病名が欲しかったわけではない。
「できないこと」を「何かのせい」にしたかったわけでもない。
何がなんでもアスペルガーになりたかったわけでもない。

自身がどんなに打ち消そうが、否定しようが、目の前に事実としてある「アスペルガーの特性」は、確かに私自身にあり、それらが「私がアスペルガーである」ことを物語っていたので、逃げようがなかった。
その特性がどんなものか、特性ゆえに出てくる「周囲を困らせ自身も困る様々なこと」を正しく認識すればするほど、自己診断は確定的になっていた。

また、「周囲が診察を勧めるが、本人がなかなか認めようとせず、診察に行きたがらない」等の相談の記事も読んだ。
この手の記事を読む度、「現実逃避」の文字が頭をよぎった。

自分は、現実から逃避してはならないし、していない。
現実をきちんと受け止め、受け入れることができるし、その覚悟ができていると考えた。
自己診断は、「できないこと・わからないこと」から逃避したいがためでなく、 ならばどうするか、その対策を講じるためであった。
「自覚」と「認識」のためであった。

どちらにしろ、人に告知するにも未診断ではなんの説得力もなかった。
職場の上司に対しても、同様の理由で相談することもできなかった。
すべては、診断を受けないと始まらない。

早急に専門医に診断を仰ごうと焦った。



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