→ [前回 アスペルガーと診断されるまで 1 ]
毎日の業務が不安だった。
何でもいいから、何かヒントが欲しかった。
自宅で、暇さえあればネットであれこれググった。
「空気が読めない」というキーワードで
偶然「アスペルガー症候群」というものにたどり着く。
初めて見る文字だった。
書かれてある「アスペルガーの特性」が
どれもこれも自分に当てはまりすぎで、驚く。
さらにググり続けた。
いくつかのアスペルガー当事者のブログを読み漁り、さらに驚く。
「これは、なんという自分!」
衝撃を受けた。
まったく身動きができなくなり、 固まった。
体は固まっていたが、延々と記憶を辿った。
3日間仕事が手に付かず、考え続けた。
■物事に対する解釈・概念・理念など、人と大きくズレていることは、子供の頃から感じていた。
■いろんなことを「わかったつもり」「できるつもり」でやってきたけれど、実はまったくわかっていなかったのだと気づいた。
■職場での失敗と、プライベートでの失敗、すべての原因がだんだんと一つにつながってくる。
■自分はアスペルガーか、そうでなければ学習障害か、ともかく「発達障害を疑うべき」。
これは多分間違いない、と思った。
これは衝撃的な事実だった。
悶々としていてもしようがないので、とりあえず地元で一番権威のありそうな医学部付属病院の精神科に予約を入れた。
(専門医が居るかどうか良く調べもせず)
この日に書いた日記が、
1週間後に受診した。
1時間程度の問診を受けたが、
途中、私には何かしら違和感があった。
担当医師は、私がネットで見た「アスペルガー診断チェックサイト」でありそうな「型どおり」の質問をいくつかしながら、手元のチェックシート?のようなものに「チェックマーク」 を書き込んでいた。
・・・え? それって、もしかしてマニュアル? と思った。
それから「生い立ち」から現在までの出来事・経歴を質問された。
ひとつひとつに答えながら、私は質問の内容が、的外れな感じ を受けた。
医師が全然私の目線に下りてきてくれていない感覚がした。
それは、たぶん「マニュアル化」された質問のされ方が原因だろうと思われた。
診察後、医師から
「お話を聞く限りでは、発達障害のようには見受けられません」と言われた。
なんとなくだが、それは予想どおりな気がした。
根拠を尋ねると、
「話すとき、ちゃんとこちらに目線を合わせていましたよね?
発達障害の人は、相手に目線を合わせられないんですよ」
というものだった。
ポイントはそこですか?! と突っ込みたかった。
そこまでマニュアルどおりですか。
患者は、「人と目線を合わせられない」ことを悩んで受診したのではない。
相手の目をちゃんと見て話すのは、客商売のイロハではないか。
現在までの通算7年間の営業・接客業という職歴もちゃんと話したにもにかかわらず、まったく考慮されていないようだった。
医師の手元の発達障害診断マニュアルには、
「相手の目を見て話す習慣」は、職業により身につくことはありえない、とでも載っているのだろうか。
目の前の患者が具体的にどんなことで困っているのかを、この医師はまるで聞いてこないし、探ろうともしていない。
・・・私が上司だったら、この部下は減俸だな。
こんな風に、自分を「ひとりの患者」として客観視し、医師の「診断状況」を分析してしまっている自分に気づくと、ちょっと滑稽だった。
これではどっちが専門家かわからないな、と思った。
自宅に戻り、考えた。
そもそも私は「病院の規模が大きい」という理由だけで大学附属病院に行ったのであった。
そこの精神科の医師が発達障害に詳しいとは限らないのだし、専門医かどうかを事前に確認したわけでもない。
完全に、私の病院選択ミスだ、と思った。
次の大学病院の診察予約はキャンセルした。
悩むのは無駄に思えたが、じっくり考える意味はある。
まだ疑問が残っている。
過去経験してきた仕事において、自分はそれなりに結果も出した(つもりだ)し、評価も受けてきた。(つもり)
あれは何だったのだろう?
あの達成感は勘違いか?
だだの思い込みだったのだろうか?
何故今、この年齢になって、この職場になって、
「できないこと」「わからないこと」が、こうも次々と出てくるのだろう?
これを解明しなければならないと思った。
この頃はまだ、
アスペルガー症候群が自閉症スペクトラムに分類されている理由 について考えるに至らなかった。
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