2010/02/20

普通になろうとしてはいけない

(日記2010年02月20日13:33)



18日に精神科を併設しているクリニックへ行った。
(正確には心療内科だった。精神科と思っていたのは私の勘違いであった)
県の精神保健福祉センターから紹介され、ずいぶん前から予約を入れていたクリニックだ。
先生は女医さんだった。


問診(というか、会話)だけなのに、2時間半もかけてしまった。
私が質問の答以上の余分なことを、次々と一生懸命に話してしまうからだろうな。
きっと他の患者より長い時間を使わせてしまったかもしれない。

既に私が自己診断でほぼアスペに間違いないだろうと思っていることも正直に話した。

私のアスペに対する予備知識が診断の妨げにならなければ良いが、と心配だったが、そこは相手もプロ。
先生は、根気良く話し、聞いてくれた。
というよりも、うまく聞き出してくれたといった感じだ。
ひとつのことを話しながらあちこちに枝葉が広がってはまた戻る私の話を
途中でさえぎることなく、最後まで話させてくれた。
いや、多分
途中で先生が何度か軌道修正してくれていたのだろう。
だが、私にストレスを感じさせない修正だった。


問診での診断は、
・アスペルガー症の特性が濃く出ている
・アスペルガー症の傾向がとても強い
とのことだった。


予想通りというか、
私の自己診断は間違っていなかったのだな、というのが正直な感想。
日頃、判断に間違いや失敗が多い私にとって
「間違っていなかった」というのは
何より嬉しいのだ。
こんなことで嬉しがっているのもおかしな話だが。


「良く自分のことを分析していますね」
と言われた。
ここで、ふと思った。
「これは言葉どおりに受け取っても良いのだろうな。」
アスペ相手に皮肉を言っても通用しないのは、専門家なら知っているだろうし、
診察で皮肉をいう医師は居まい。
この種の皮肉に私は何度も痛い目を見てきて、(知識としては)学習してしまったので、とっさに余計なことまで頭に浮かんでしまう。


あぁ、そうか。

専門家の先生との会話は
「こちらの話を、先読み・裏読み・駆け引きなしで言葉どおりにそのまま聞いてもらえている」
「先生も遠まわしな言い方はせず率直に話してくれている」
という居心地の良さがあった。
これこそ私が望んでいた会話だ。
今頃気づいた。
 
この先生は我々との会話の仕方を心得ているな、と感じた。
だから安心して話せた。
ありがたかった。
この先生なら信頼できる。

以前「私は宇宙人(エイリアン)」みたいな日記を書いたが、
先生も「アスペはいわば宇宙人」説を話し始めたので、私は驚きと共にたいそう嬉しかった。
我々の特性からくる疎外感・困惑を、この先生は理解してくれている。
私は涙が出そうだった。

私を、この先生に任せてみようと思った。

このクリニックを、この先生のところを受診したのも「間違っていなかった」と思いたい。
次の診察日が待ち遠しいと感じる。
これも良い傾向だと思いたい。


ちなみに
前回行った大学病院では、
問診をした担当医師に対し、何かしら「不信感」のようなものがあり
2度目の診察予約を、自宅から断りの電話を入れ、それっきりだ。

(この大学病院受診の一件については「アスペルガーと診断されるまで 2」に詳しく書いた)

先生は、
「今後も、今の調子で良いですよ」
「仕事もしているし、ある程度この星に適応し、ある程度アスペの特性と上手に付き合っているように見受けられます」
と言ってくれた。
励みになる言葉だ。


最後に
「無理に普通になろうとしてはいけませんよ」と、念を押された。
普通になろうとすると、できないストレスからウツやパニック障害など二次障害を引き起こすという。
そうすると薬の世話にもならねばならなくなるし、一番厄介なのだという。




アスペを知って2年2ヶ月。
私の自己分析の毎日は、少しは役に立ったのだろうか。