2012/03/24

聴覚過敏 と 脳の情報処理




今日はいつもの心療内科に行ってきた。

といっても定期的に通院しているわけではない。
私は特に服薬の必要がなく、何か困ったことや相談があれば受診すれば良い、と言われている。

今回は、以前から気になっていた「聴覚過敏」についての相談をした。



じつは、今月初めにある試験を受けに行った時のこと。
試験会場で待機している間、換気扇だかエアコンだかわからないが、ファンの回る音がえらく耳触りに感じた。
既に
私は嫌な予感がしていたのだが、案の定、試験官が試験前の注意事項を話し始めた時、私は試験官の話が聞こえなかった。

なぜあんなに小さな声で話すのだ?! と、激しい疑問を覚えた。


他の人は聞こえているのだろうか?と気になって回りを見たが、前のめりになり耳の後ろに手を当てて聞いているのは、
受験者22名の中で、私一人だけだった。
これはいくらなんでも、気のせいとは言えないだろう。


この出来事で思い当たったのが、以前書いていた
[ 土砂降り  ](2010年6月)の以下の部分だ。


あと、キャノピーに雨が打ちつけられる音で
人の話が良く聞こえないのが困るな。

激しい雨だと声が聞こえづらいだろうというのは予測できるはずなのに
声の小さい人はどんな時も小さい。
何度聞き返しても、やっぱり小さい。

聞こえないから聞き返しているのに、その小ささは無いだろう?と思う。
仕方がないから、近くまで走っていってもう一度聞く。

そうすると、さらに声が小さくなる(笑)
どっちにしろ聞こえない・・・

自分には聞こえてるからヨシと思うのだろうか。


 
激しい雨の日は、人の話が聞こえづらくて、ほとほと困った。

「土砂降り」を書いた当時、職場のホームセンターの張り出し屋根が折板(スチール製の板金)のキャノピーだった。
キャノピーには防音材など使われていないので、雨が降ると音がもろに直撃で、うるさくて最悪だったのだ。
業務連絡や指示がまったく聞こえず、3回も4回も聞き返すはめになるし、もういい加減にしろと相手を呆れさせてしまうこともあった。
難聴だろうか? と心配になって、職場の定期健診の時に「聴力検査」をしてもらったこともあるが、結果は別に異常ないと言われた。


困るのは雨の音だけではない。
車の騒音、工事現場の音、窓が開いていれば外からの雑音、などなど、数え上げればきりがない。
そういえば昔、学校でも授業中は他の生徒の私語で先生の話が聞こえなかった。
過去、人の話を聞く時に何か「邪魔」と感じる雑音があって聞こえづらかった、という記憶が次々と甦ってきた。


 
今までも「アスペルガーには聴覚過敏が多い」というのは何かで読んで知っていたが、私の聞こえづらさ聴覚過敏を結びつけて考えたことはなかった。

しかし、
もしやこれが「噂の」聴覚過敏か? と疑わざるを得なくなった。
いや、そもそも発達障害というのは「脳内の情報処理がうまくいっていない」ことを考え合わせれば、「聞こえない」のではなくて「聞き取れない」 = 「聞こえた情報を脳内で処理できていない」状態である可能性も、と考えた。

で、心療内科の先生に、これらの話をしてみた。


 
先生の見解としては、聴覚過敏」と聞こえた情報を処理できていない」の両方が考えられる、とのことだった。
まぁ、私の予想と一致していたわけだ。

さらに、聴覚過敏について、先生から以下のような説明がされた。

たとえば、「我が子の発表会」をビデオに録画して、あとで編集しようとそれを観てみるとする。
すると、録画中は気にならなかったのに、「我が子」の声よりも、隣のオヤジの咳払いやら後ろの父兄の笑い声やら、邪魔な雑音がやたら大音量でマイクに拾われていることに気づく。 

これはどういうことかというと、録画に夢中になっている人間(親)の脳には、
映したい対象である「我が子の声」だけを聴き分け、他の雑音を遮断する「フィルター機能」が働いている。 ビデオのマイクにはそのような「フィルター機能」がないので、そこら辺の音を何でもかんでも拾ってしまう。 

アルペルガーの「聴覚過敏脳」は
ビデオのマイクと同様に、雑音を遮断する機能が働いていないのでは?と考えられる。



先生の話を聞きながら、私が思い出したのが、以前YouTubeで観た、
 この中に登場する 精神科学専門・スナイダー教授の「サバンの研究」の話だ。

 
目覚めている時、私たちの脳にはひっきりなしに情報が飛び込んできます。
沢山の映像や音が一気に流れ込んできます。
しかし、脳が不要なものを整理してくれるので、私たちは編集された現実しか意識していません。
こうすることで、楽に生活ができるのです。

私たちは皆、情報攻めに遭っています。 
でも、脳はそれを分類して、単純化することができます。
だから、素早い反応ができるのです。 
ボールが飛んできた、車が向かってくる、警官だ、オートバイだ、自転車だ、子供だ。
私たちは、パッと止まることができるでしょう。
脳には、膨大な情報が飛び込んできますから、分類と言う作業がどうしても必要になってくるのです。

スナイダー教授は、サバンの脳はこの単純化の処理をしていない、と考えています。 
サバンは、しばしば周囲の世界に戸惑いますが、それは、編集していないままの現実を体験しているからだと言うのです。

サバンは、私たちには不可解とも思える才能を持っていますが、それは、彼らだけが脳のある特定の部位にアクセスできるからです。 
かすかな知覚情報が蓄積されている場所です。
サバンは、その情報を読み取ることができるのです。
言い換えれば、サバンの才能は、脳の発達障害の結果として生まれたものなのです。 
ですから、私たちの脳でも、どこかを遮断したり取り除いたりすれば、同じ情報を読み取れるようになるはずです。誰でも能力はあるんです。
ただ、それを読み取れないだけです。


 
ちょっと、うまく説明できないのだが、いくつかの「気になっていたが、バラバラでブツ切りだった漠然としたもの」が、またここで ひとつのもの としてつながった、という気がした。


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