2009/04/15

今の状況

(日記2009年12月18日13:22)



4月に下書きしていた日記です。

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ちょっと深刻な話をします。
面倒くさい人はスルーしてください。



私は、気分がハイになったり落ち込んだりとかは、ほとんどありません。
日によって気分が変わるとかも、まずありません。
眠れないことはたまにありますが、そんなに深刻なほどではありません。
だから幸いにも、我々が陥りやすい二次障害は起こしていないと思っています。

いつも、大体同じ調子です。
いつも大体同じ調子で、人が「言葉で言ったこと以外の内面の気持ち」を理解するのが困難です。

昨日も一昨日も、先週も先月も、職場で
「相手が何を言いたいのか」がちゃんと理解できず失敗をやらかしました。

「そんなに気にしなくてもいいと思うよ」
「気にしすぎるからますます悪い方向へいくんだ」などと言われますが
気にしないで今のままで、空気が読めずどんどん失敗を続け迷惑かけっぱなしで良いということではありませんよね。
同じ失敗は二度と繰り返さないようにしていけば良い、という意味ですよね。
でも私は、発想の根本的なところで人とズレている部分と
「わかること」と「わからない」こと、それと
「できること」と「できないこと」があまりに極端で、
普通の人の範囲を超えているのだと思います。
人から見れば「それ普通に簡単でしょう」ということを、いとも容易く何度も同じように失敗します。

「あの人はおかしい」
「なんでそれくらいのことができないんだ」
「もういい加減にしろよ」と、多分呆れられていると思います。

これは、昨年末くらいから気づいたことです。
 

8月で今の職場で2年になります。
本来なら、とうにこなせているはずの仕事の流れがあります。
それを実は、私はいまだ理解していないのだという事実が、あとからあとから出てきます。
「出てくる」という表現はおかしいのかもしれませんが、私にとってはまさに「沸いて出てくる」ような感覚です。
本当に何故なのかわかりませんでした。
本当に「おかしい」と自分でも思いました。

気づいたからこそ、なんとかできるかもしれない、
いや、なんとかしないといかん、と思いました。
それで、自分の行動を自己分析する毎日です。

あの時はどうだったか、
あの日のあれはどうだったか、
あれで良かったのか?
何故そうなったのか?と、振り返ります。

で、わかったこと。

「1を言われたら10を理解しろ」が、私には困難なようです。
「1を言われたらそのまんま1しか」できていないのです。

「このまえ、2や3や4についても説明したでしょう?」と言われると、
私は「え?そうでしたか?」と
まじで狐につままれたような気分になりました。


1は確かに理解しました。
そして、説明が1から2に繋がる時点で、
自分にとって何かとても「気になる」部分があると、そこで思考が引っかかってしまって、
2や3や4はまるで頭に入っていないのだ、ということが判明しました。

結果、「人の話をまったく聞いていない」「注意力散漫なヤツ」になってしまっています。

「重要なことなら何故メモを取らないんだ。そんなの話を聞きながらメモを取れば済むだろ」
言われることは、ごもっともです。
自分でも、何故メモしていないんだ!と愕然とします。
確かにメモ帳を開きペンを握っていたのに、あとで見ると白紙のままです。
おかしいでしょ?

話の途中で何か一つのことに引っかかってつまづいてしまうと
「これは重要だからメモ」すら思い浮かばなくなってしまっているようです。
人の話は上の空で、延々と一つのことについて考え続けているようです。
一歩も先へ進めていないのです。

これは、仕事をする上で、とんでもないことです。

気づいていなかった頃は、理解していなくて人に迷惑かけたとしても
自分はまったく気づかなかったわけで、まったくもってひどい話ですよね。
とても恐ろしいことだと思います。
よくこんな状態で仕事をしているなぁ、と思います。
いや、仕事しているようなつもりですけど、実際には仕事になっていないです。

他人ごとのような書き方をして、変ですけど
私が他人なら、多分キッパリと「あんた、この仕事無理でしょ」と言います。 


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(この日記は書いた日付がはっきりしない。
おそらく自分は何故わからないのか」がわからない を書いた前後だと思うので、暫定的に4月15日とした。)




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